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今期45周年を迎えます。たった一人の生き残りチャーターメンバーとして、ここまでの道程を少しご紹介いたします。
東京クラブの発起人が米国人であったことと、当時の会員が米国人と日本人が半々位でしたので、例会はバイリンガルで行われ、両言語で言える人は両言語で、どちらかの人は通訳を付けて、の集まりでした。
最初の数年はほぼITCの型に則って行われたものの、文化交流の趣が強かったと記憶しております。
在籍する外国人が無くなり、日本語のみの例会になった時、内容の質が途端に上がったのは印象的でした。
例会会場も大きくは5回変わり、現在の会場も今年限りです。
会員数は数年前までは大体25名から30名の間にありました。一時、35名位になりましたが、やはりそこここに無理が出来、30名という数の重要性を思い知りました。
現在は減少傾向にあります。50周年はどのように迎えられるでしょうか。思いがけないZoom時代を迎え、次の5年間に思い切った、冷静な組織改革無くして存続は出来ましょうか。 |
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